堅物教師と激安スーパー
初夏の夕暮れの音楽室、夕陽と微量な潮の香りを含んだ風が窓から入ってくる。
吹奏楽部の居残り練習、氷室がピアノの伴奏を、それに合わせて女子生徒がフルートを奏でている。二人とも集中していて、最終下校時刻が過ぎた事にも気付いていなかった。
彼女、鮎川淑江は氷室のクラスの生徒でもある。この4月に入学したばかりで、勉強、部活動、全てにおいて標準より劣等な為、ほぼ毎日の放課後と場合によっては休日も個人指導をしている。
演奏技術に関しては申し分ないのだが、楽譜が読めない彼女にまず基礎的な事を教えその後に楽器の練習に入るため、どうしても余計に時間がかかってしまう。
「もう、こんな時間か・・・鮎川、最終下校時刻をオーバーしている。今日はこれ位にして、速やかに帰宅をしよう」
「あ、そうですね・・・あー!」
「どうした?」
「今日の夕食と明日の食材の買い物があるんです。はあ、今日の特売品、もうないだろうなぁ」
母子家庭なので、家事全般は彼女がやっている。いつもならここまで遅くはならないので、何とかやりくりはしているようだが。
「これから、買い物をして夕食の支度か」
「ハア、そうですね。弟もご飯位は炊いてると思うけど、仕方ないです」
氷室は腕時計を眺めながら、眼鏡のフレームに触れる。
「鮎川、私に着いてきなさい」
「わあ、すっごい外車ですね~」
「私の愛車は”すっごい車”ではない。マサラティGT300、イタリアはマサラティー社が誇る・・・云々」
淑江は氷室の車に乗るのは始めてだった。恐る恐る助手席に乗り込みキョロキョロしていた。
「鮎川、時間がない。急いでシートベルトをしなさい」
「はっはい」
重厚なエンジン音を響かせながら連れてこられたのは、臨海地区の郊外にある普段価格も激安スーパー。自家用車がないととても行けれそうにない場所にある。
通学途中に寄れるような所ではないが、さすがにお安いので、休日は尽を無理矢理連れて、自転車で買い出しに行ったりする。
「献立は決まっているのか?」
「いえ、そこまでは」
「しっかりしなさい。計画を立てないと時間ばかりかかってしまうぞ。では、今から15分後にこのレジの場所に集合だ」
「はい!」
(何故そんな意気揚々とした表情なのだ?)
淑江は、スキップでもしそうな勢いでカートを押して商品の棚を物色し始めた。
指定の時間を2分過ぎている。氷室は早々に自分の買い物を済ませたが、淑江はやっとレジに並び始めた。
(まったく、時間が押しているというのに・・・)
「何っ!!」
氷室は呆気にとられた。表情はクールなままだが、若干動揺してしまった。
カートには嵩張って重そうな商品が積まれている。トイレペーパー、ティッシュ、安物のコーラやオレンジジュースや米や牛乳等々が。
「あ、すいません!氷室先生。今レジです~」
周りの視線等おかまいなしに、淑江は元気よく手を振る。通り掛かりの主婦らしき人物にクスクス笑われる。氷室はがっくりとうなだれ、顔に手を添える。
「あ~っ、いけないっ! 氷室先生~!!」
店内にはそれなりに客がいるのに、彼女はおかまいなく大声を出す。
「どうした・・・」
「約2千円足りないんです。申し訳ないのですが、お金を貸して頂けませんか?」
「・・・・・・・・」
帰りの車内で、淑江は、所持金と買い物の無計画さを延々と説教されていた。
「すいません・・・こういう時でないと嵩張るもの買うチャンスだと思って・・・
でも、本当に助かりました!ありがとうございます!」
氷室から長いため息が出た。
「姉ちゃん! 遅せえぞ・・・・・・げっ!!」
「ただいま尽。遅くなってごめんね」
姉の後ろには、大きな段ボールを抱えたインテリイケメンが立っている。
「え、氷室センセ・・・??」
「ほら、尽も手伝って」
姉から荷物を受け取る。氷室は無言でアパートの部屋へ黙々と荷物を運ぶ。
「氷室先生、今日はありがとうございました!お茶でも入れますね」
「結構、今日はもう遅い。今から君も支度があるだろう。では失敬」
氷室はさっさと帰っていった。鮎川淑江は、マサラティが見えなくなるまで、深々とお辞儀をした。
「姉ちゃん・・・氷室先生をアシに使ったの・・・??」
